超大型台風が襲来した三連休最終日の10月13日、
Xeno Quartetは第15回大阪国際音楽コンクールに出場しました。
黒ずくめでワルを目指しながら、意外に気の小さいゼノカル一同、ほぼ誰にも告げることもなくこっそり参戦。
そして午前中に行われた民俗楽器の部、第1位を授賞することができました!
そして午後からは各部門優勝者によるガラコンサートに出演。
曲はファイナルと同じく、高韶青作曲「二胡随想曲第三号
」。
夕方からは授賞式が行われ、メンバーそれぞれ賞状と金メダルを頂きました。
※グループ名のtがrになっちゃってますが、後で訂正してもらいました(^^;
これで2年前のゼノカル結成時から鳴尾が密かに心に期していた目標を1つ達成することができました。
夏に行われた予選も含め、結果が残せるか分からないコンクールのために、それぞれ忙しい日程を調整して集まってくれたメンバーに心から感謝!
鳴尾はこのコンクール、出場は3回目でした。
これまではエスポアール賞止まりだったので、ぜひもう一度挑戦したかった。
ガラコンサートに出演するのが大袈裟に言えば夢ってやつでした。
我ながら諦めないよなあ...。
柄にもない話ですが、この朝は珍しく夢を見たのです。
なにやら貧乏な母娘が数粒の麦を大切に育てる話。
ストーリーは覚えてないけど、目が覚めたあと「自分が持ってるものを一生懸命大切に育てたら、周りが助けてくれるんだなあ」とかぼんやり思った。
その時の私の中では、「数粒の小麦」=「子供の頃から基礎を積み重ねたわけでも、音大で専門に学んだわけでもない、充分練習し尽くす時間もない自分の二胡」になっていました。
恥じずに、怖じ気づかずに出せるものを出そう、と思った。
そうこうしながら台風情報を知るためにホテルのテレビをつけると、中島みゆきの「麦の唄」が流れ、そのままついのんびり「マッサン」を見ていたら、ゼノカルの母S姐さんから「もう会場に着いてる?」とメールが来たわけで(笑)ちょっと焦った。
その流れで朝から晩までS姐さんにお世話になりまくり、授賞式には姐さん率いるゼノカル応援隊が台風をおして会場に終結してくださいました。ありがたやありがたや...!結構正夢やん。
ガラコンサート出番待ちの舞台袖では、なぜか劉天華、阿炳の時代から始まる近代二胡の歴史を考えてました。二胡曲を通じて知った数々の作曲家、演奏家、何度か直に接する機会のあった故閔恵芬、一生を賭けて二胡を弾いた先人達。その100年の歴史のはしっこで、私は二胡を弾いているんだなあと、まあそんな感動に浸るくらい自分がこの異国の民族楽器を内在化していることに驚きましたが。
そんなわけで、今年のゼノカルの演奏はめでたく終了、来年は今のところの予定では、2月の春節のころから活動開始です。
今決まっているのは2/22の兵庫県立美術館withウー・ファン、3/15佐用町スピカホールなど。
ひょっとしたら南京町春節祭にも出没するかも?
またいろいろ詳細が決まればお知らせします。
来年もパワーアップする(予定の)ゼノカルを、どうぞよろしくお願いします!